先生の側でもKの側でも、書けますね。 西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。        ↓ この話は、手紙など本人が残した物証がないため、あくまで仮説なのですが、多くの漱石の弟子たちが、楠緒子が漱石の「永遠の女性」だと語っているのは確かです。 漱石が生まれたのは慶応3年、翌、慶応4年が明治元年ですから、まさしく明治という時代に生きた人です。 どこでつかうかによって、意味は似たようでもあり、大きく異なるものともなるのでは?と思いました。, 今学校で「こころ」の学習をしています。3月7日までに原稿用紙5枚以上のレポートを書かなければなりません。 その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。 実際に、文学部の方で、漱石で卒論を書かれた方がいらっしゃいましたら、どういったテーマだったのか、使った文献等を教えて下さい。 早速質問コーナーに入らせてください。(笑   エゴイストというものは、自分の主張をするばかりですから、他人に恋することはあっても、恋愛感情がうまくいくケースが非常に少ないです。つまり相手への気配りをしなくなる、ということがいけないのだと思います。 結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?   まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。 以下、簡単にわたしの解釈を書きます。 明治の作家の作品が、これだけ今も読まれ続けているというのは、すごいことですね。 この事件は、漱石の頭から離れることはなく、『吾輩は猫である』『草枕』の中でも言及しています。 おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。   確かにおっしゃる通り、人を動かすものは人との関係なんだなあと感じました。つまり自分の中をいくら見つめてもそこにはっきりした原因があるわけではない。だからこそ先生もそうですけれど人は色々と悩むのでしょうね。 なにし...続きを読む, 今夏目漱石の「こころ」にはまっているんですけれども、 あまり思い出したくないことかもしれませんけど・・・.    

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。 鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

『こころ』の「先生」は、この事件に際して、自分の中の自己矛盾を自覚させられます。  全集を全部読み通すかどうかは、テーマが何かによると思います。作品論(特定の作品について論じる)、作家論(作家について論じる)、個別テーマ(作家や作品を材料に用いて、何かのテーマについて論じる。例えば「家族」「ジェンダー」「近代」「身体」「戦争」等々)等の、どれをやろうとなさっているのかということです。作家論という形で漱石自体を問題にするのなら全集を読み通していなければなりませんが、それ以外であれば全集を読んでいなくても、必ずしも書けないことはないと思います。   >結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?   まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。 これがエゴイズムというヤツです。自分にとって利益がなくても、自説を押し進めてしまうということです。 将来に対する明るいメッセージはないのでしょうか?, 思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、  でも、人間のエゴイズムって何なんでしょうか?  

Twitter で共有する Facebook で共有する Pinterest に共有. その上で、最後に、『こころ』を読んで気づかされたことなど、これからの自分の学びにつながることでまとめると、しっかりした結びになります。   文学作品は読者が自由に解釈して楽しむものですから、 漱石の「こころ」の場合、エゴティズムというのはやむを得ない部分もあるのではないでしょうか。 しかし、秩序というのがありまして、道徳だとか倫理だとかというものですね。それを守っていればとりあえずは大丈夫かな、と思います。 すべての人に「善」と「悪」の心がある。(これも自己矛盾ですね。)  辞書では「利己主義」と書いてあったのですが、そのまま、「人間の利己主義を描いている」と書くと、意味不明になりました。 そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。 考えられる可能性としては、「私」が「先生」の奥さんに一目ぼれしてしまった、ってことなんですけど・・・。   それに対して、エゴイストは、自分のことばかりを考えたり、話したりすることです。要するに、他人のことに関心を払えないということです。     夏目漱石の後期の代表作「こころ」は、今もベストセラー本として読まれ続けています。  330ページ(新潮文庫)ほどの中編作品ですが、久しぶりに一気に読んだら、気分が「どよ~~~ん」としてしまいました。  食欲がなくなって、ダイエッ... こんにちは。  明治から大正の大文豪といえば、やはり夏目漱石先生‼  夏目漱石は、文豪として知られますが、偉大な英語教育者でもありました。  今回は、「夏目漱石」について、生涯と有名エピソードをご紹介します。&nb... 夏目漱石がよく分かる4つの逸話と3つの名言を紹介★「月が綺麗ですね」はいつ言った言葉?.   まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。 ②先生はなぜ自殺をしなければならなかったのか   で、その前に「「先生」が自殺する原因は?」となると、先生がKを出し抜く形でお嬢さんと婚約したことは、大正以降の日本人の常識的な倫理規範に照らして、特に恥ずべき行為ではないにせよ、「明治の精神」(封建道徳)に照らす限り、許すべからざる行為であったが故に、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺することを選んだと解しうるのではないでしょうか。 こちらも650万部は軽く超えているそうですよ。

     先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っ...続きを読む, 夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は? ・・・という考え方を私は持っておりまして、  死人の毛を抜く老婆を目撃して、一瞬正義感のようなものを覚えた下人が、 自分が正しいと思い込む人は、意外に後で空っぽであることに気付かされるものです。 その上で、先生が自殺に至るまでの生き様や経緯を告白した遺書を、主人公の「私」に宛てた動機や理由を考えてみますと、主人公がまだ思慮が浅くとも、理想家肌の青年であることからして、先生はこの青年に、自分の精神上の息子として、自分に代わって新しい時代を生きてくれることを期待したのではないでしょうか。

それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。   うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。       ・人間の罪(人間の存在というもの)…他いくつも」

また、一人の作家を選んで論文を書くとなると、やはり全作品を読むものなのでしょうか? (2)先生はなぜ自殺をしなければならなかったのか おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。 ①こころの主題    

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。 >女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ