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!』 等 々 、 数 々 の 番 組 に 出 演 し た 。 1985年 に は NHKの み ん な の う た で 東 京 放 送 児 童 合 唱 団 と 共 演 し た 「 ラ ジ ャ ・ マ ハ ラ ジ ャ ー 」 が 放 送 さ れ 、 人 気 と な っ た 。, 1990年 代 か ら 女 優 と し て の 活 動 が 比 重 を 増 す 。 す で に そ の 個 性 を 活 か し た テ レ ビ ド ラ マ で の 特 異 な 役 柄 や 、 『 パ ラ ダ イ ス ・ ビ ュ ー 』 『 ウ ン タ マ ギ ル ー 』 の よ う な 先 鋭 的 な イ ン デ ィ ー ズ 作 品 へ の 出 演 を 果 た し て い た が 、 松 竹 映 画 の メ ジ ャ ー 作 『 男 は つ ら い よ 』 『 釣 り バ カ 日 誌 』 の 両 作 に も 出 演 す る な ど 、 活 躍 し た 。, 1995年 11月 、 当 時 の 所 属 事 務 所 へ の 方 向 性 や 金 銭 を 巡 る 不 信 、 バ ン ド メ ン バ ー の 脱 退 、 ラ イ ブ ビ デ オ の 編 集 ( 無 断 発 売 ) な ど の 度 重 な る 人 間 関 係 の ト ラ ブ ル を 苦 に 、 自 宅 マ ン シ ョ ン に て 首 を 剃 刀 で 切 り 自 殺 を 図 る 。 幸 い 頸 動 脈 に 達 し て い な か っ た こ と か ら 一 命 を 取 り 留 め た 。 狂 言 自 殺 疑 惑 、 自 傷 時 に 流 れ 出 た 血 液 で 部 屋 の 壁 に 「 皆 憎 」 と い う 文 字 を 書 い た な ど の 話 題 で マ ス コ ミ を 騒 が す 。, 2006年 2月 22日 、 完 全 限 定 生 産 で 、 ソ ニ ー ・ ミ ュ ー ジ ッ ク ダ イ レ ク ト よ り 、 ア ル フ ァ レ コ ー ド 時 代 の 戸 川 純 関 連 ア ル バ ム 9作 ( ゲ ル ニ カ の デ ビ ュ ー ・ ア ル バ ム 『 改 造 へ の 躍 動 』 、 ソ ロ 作 品 『 玉 姫 様 』 他 、 上 野 耕 路 、 戸 川 京 子 作 品 含 む ) が デ ジ タ ル リ マ ス タ リ ン グ さ れ た 音 源 に 帯 、 レ コ ー ド レ ー ベ ル 、 歌 詞 カ ー ド 等 忠 実 に 再 現 さ れ た 、 紙 ジ ャ ケ ッ ト 仕 様 で 復 刻 さ れ た 。 ま た 同 時 に 戸 川 純 関 連 映 像 作 品 2作 も DVDで 復 刻 さ れ た 。, 2006年 、 足 と 腰 を 負 傷 し て 入 院 。 10月 に 予 定 さ れ て い た ラ イ ブ が 延 期 に な る 。, 2007年 12月 23日 よ り ウ ェ ブ ラ ジ オ サ イ ト 『 オ ー ル ニ ー ト ニ ッ ポ ン 』 よ り 、 パ フ ォ ー マ ン ス 集 団 「 こ わ れ 者 の 祭 典 」 の 代 表 人 月 乃 光 司 と 共 に ウ ェ ブ ラ ジ オ 『 ハ ー ト 温 泉 』 の パ ー ソ ナ リ テ ィ を 務 め て い た ( 2008年 12月 末 を も っ て 放 送 終 了 ) 。, 2008年 7月 9日 『 TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST & RARE 1980-2007』 (GT MUSIC) 発 売 。 当 初 は 2月 20日 に リ リ ー ス す る 予 定 だ っ た が 延 期 、 戸 川 に よ る と 版 権 問 題 が 大 変 な こ と に な り 延 期 し た と 語 る 。, 2009年 6月 現 在 、 初 の 長 編 小 説 を 執 筆 中 。 ま た 、 詩 集 の 刊 行 が 予 定 さ れ て い る 。, 2009年 7月 22日 、 芸 能 生 活 30周 年 記 念 と し て 、 テ イ チ ク 時 代 の 作 品 を ま と め た 9枚 組 BOX『 TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA?30TH ANNIVERSARY?』 を テ イ チ ク エ ン タ テ イ ン メ ン ト よ り 、 ナ ン バ リ ン グ 入 り 完 全 限 定 生 産 で 発 売 し た 。, 2010年 に 公 開 の 映 画 『 名 前 の な い 女 た ち 』 で は 主 題 歌 と し て 「 バ ー ジ ン ブ ル ー ス 」 が 使 用 さ れ た 。, 2010年 12月 1日 『 ロ マ ン チ ス ト ?THE STALIN・ 遠 藤 ミ チ ロ ウ Tribute Album?』 ( ア リ オ ラ ・ ジ ャ パ ン ) に 参 加 。 遠 藤 ミ チ ロ ウ の 「 カ ノ ン 」 を カ ヴ ァ ー 。, 2011年 5月 11日 、 2006年 に 限 定 生 産 で 発 売 し た ア ル フ ァ レ コ ー ド 時 代 の 戸 川 純 関 連 ア ル バ ム 7作 が 、 Blu-spec CD化 し 、 2006年 盤 と 同 じ 紙 ジ ャ ケ ッ ト 仕 様 で 、 ソ ニ ー ・ ミ ュ ー ジ ッ ク ダ イ レ ク ト よ り 再 発 売 さ れ た 。, 2012年 7月 14日 公 開 の 映 画 『 ヘ ル タ ー ス ケ ル タ ー 』 で は 挿 入 歌 と し て 「 蛹 化 の 女 」 が 使 用 さ れ た 。 同 年 7月 25日 に は 、 同 映 画 の 監 督 選 曲 の ベ ス ト ア ル バ ム 『 蛹 化 の 女 ?蜷 川 実 花 セ レ ク シ ョ ン 』 (ソ ニ ー ・ ミ ュ ー ジ ッ ク ダ イ レ ク ト )を 発 売 。, 2012年 10月 22日 、 ヤ プ ー ズ 『 ヤ プ ー ズ 計 画 』 ( SHM-CD) 、 ソ ロ 『 昭 和 享 年 』 ( SHM-CD) 、 ヤ プ ー ズ 『 ヤ プ ー ズ 計 画  LIVE&CLIP+2』 ( DVD) 、 東 口 ト ル エ ン ズ 『 東 口 DVD』 ( DVD) の 4作 品 が 、 2009年 の BOX『 TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA?30TH ANNIVERSARY?』 か ら 、 単 体 で 、 SHM-CD/紙 ジ ャ ケ ッ ト 仕 様 そ の ま ま に 、 新 た に 2012年 椎 名 宗 之 ( ル ー フ ト ッ プ 編 集 局 長 ) に よ る 4作 品 ト ー タ ル 解 説 が 各 作 品 封 入 し て 、 完 全 限 定 生 産 で 再 発 売 さ れ た 。, 2014年 4月 9日 、 Vampilliaの CD『 the divine move』 に ゲ ス ト 参 加 。 ( 2曲 ), 2016年 、 ゲ ル ニ カ 結 成 か ら 数 え て 、 歌 手 活 動 35周 年 を 迎 え 作 品 を 相 次 い で 発 売 し た 。 1月 20日 、 非 常 階 段 コ ラ ボ レ ー シ ョ ン 作 品 で 、 ベ ス ト や オ ム ニ バ ス 作 品 参 加 以 外 の 戸 川 の 新 録 作 品 と し て は 12年 振 り と な る 『 戸 川 階 段 』 発 売 。 11月 25日 、 初 の 全 歌 詞 解 説 集 と な る 単 行 本 『 戸 川 純 全 歌 詞 解 説 集 』 発 売 。 12月 14日 、 “ 戸 川 純  with Vampillia” 名 義 で 、 歌 手 活 動 35周 年 記 念 作 品 『 わ た し が 鳴 こ う ホ ト ト ギ ス 』 発 売 。 こ の 作 品 は 過 去 の 楽 曲 の 新 録 音 と 12年 振 り の 新 曲 と な る 「 わ た し が 鳴 こ う ホ ト ト ギ ス 」 を 収 録 し た ア ル バ ム と な っ て い る 。. | コメント (0), たぶん私は、別れるのが苦手なのだろう、これまで多くの人と別れてきたけれど、円満に別れたという記憶がまったくない。, 喧嘩別れにせよ、連絡が途絶しての別れにせよ、どこかに何かを置き去りにして別れていて、それがずっと後まで「しこり」や「澱」となって残る。, 大学時代、特に1~2年目は孤独な生活を送っていて、こんな生活がいつまで続くのだろうか、はやく卒業して、こんな場所、こんな環境からおさらばしたいと常々思っていた。ただ、大学生活の中でお世話になった人、根暗だった亭主に積極的にかかわってくれた人は少なからずいた。当時のひねくれた、貧しい心のなかでは「うっとうしい」と感じられた彼らだが、今となってはもっと素直にかかわっていればよかったと後悔の気持ちばかりが先に立つ。, もう20数年も前の話になるが、亭主には、某大学のジャズ研・・・いやビッグバンド研究会に所属している友人がいた。亭主は出身県の県人会の寮に入っていたから、同郷、ということになる。彼の部屋には、古ぼけたコートと、ギターくらいしかなく、いつも亭主の部屋にやってきては雑談したり、亭主が親戚からもらってきたせんべいを食べては時間をつぶしていた。亭主はといえばあいかわらずの根暗人間で、彼の来るのを拒否こそしなかったものの、あまりうれしそうな顔もしていなかったように思う。一人で本を読んだり、パソコンを弄ったりするほうが好きだったから、彼の来訪は、平穏な日々を破るものだった。, ジャズの名盤、彼のオススメのジャズ・ミュージシャンの話を聞いてジャズに入門してみたり、また亭主の好きなアーティストの多くが、ジャズからの引用で曲を作っていることを知った。亭主が当時好きだったゲルニカ(上野耕路+戸川純+太田螢一)のアルバムを二人で聴いていて、彼が新しいフレーズをひらめいたこともある。バイト代が出たからと、浦和駅前のショットバーに誘われたこともある。そうそう、亭主の持っていた高野文子の「おともだち」を読んで衝撃を受け、彼もまたどこからか「おともだち」を買ってきたこともあった。二人で金が無くなり、駅前のパン屋でダンボール一箱分のパンの耳を50円で買い、二人で水とパンの耳の食事をとったりもした。当時は意識しなかったが、亭主にとって彼は確かに「相棒」だった。, 大学2年目の3月、亭主はその寮を出て、学校の近くのアパートに移り住むことになった。, 亭主の悪いクセが出て、誰にも告げずにそっと寮を出るつもりだったが、なぜか彼とは寮の前でがっしりと硬く握手をして別れた記憶がある。その後しばらくは彼が学祭にやってきたりと何かで交流があったが、しばらくして手紙がやってきて、親も、また彼も学費が捻出できなくなったため中退して実家に戻ることを知った。ただ、手紙を返す気分になれず、そのまま放っておいた。, 以降20数年連絡をとっていない。もちろんいま亭主がどこにいるかは20数年間まったく知らせていない。, ついこの前ふと思い出して、彼の名前でgoogle検索したところ、地元でジャズ・ギタリストとして、またイベントのコーディネータとして活躍していることを知った。彼自身ではないが、関係者が演奏風景をYoutubeにアップロードしていたりもした。久しぶりに見る彼は、学生時代の肩まで延びていた髪をばっさり切って, 彼はたぶんこちらのことなど覚えていないだろうし、仮に覚えていたとしても、特に何をどうするわけでもなかろう。連絡をとったとしても「いまさら何だ」と思うだろう。, 元気そうにしていることだけはわかったので、Youtubeにあった関係者のアカウントをチャンネルに登録し、ブラウザを閉じた。, 投稿情報: 22:55 カテゴリー: Essay | 個別ページ ニコ動からサルベージ。 すいません、このバージョンがやっぱり一番好きなんです ↓↓ http://www.nicovideo.jp/watch/sm1192495, 「ニコニコ動画」は音楽・お笑い・アニメ・ゲームなどの動画再生中にコメントを付けて楽しむ動画コミュニティサイトです, 94. 1999年、全音楽譜出版社より『上野耕路 ピアノ作品集』を出版。 2000年より日本大学藝術学部にて、映画音楽の講義を受け持つ。 2004年、キユーピー「 たらこパスタソース 」のCM音楽が話題を呼ぶ。 上野耕路の重厚なオーケストレーションと絶頂時の戸川純の歌で再演したら、 さぞやスンバラスィ~ものになりそう。 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/09 23:28 ID:ZEm5a4BN そういえば山下達朗のサウンドストリートで 特集やったりしてたなー。 コメント (0), 学生時代はそれはもうありとあらゆるマンガを読んでいたのだが、大学を卒業して社会人になるにあたって大部分を処分した。処分の理由は、アパートからの引越しの荷物をなんとか減らしたかったからだが、社会人になってまでマンガもなかろうと、心の中では思っていた。大部分のマンガは古本屋に売ったり、人に進呈したりしたのだが、マンガと完全に決別するというわけではなく、経過措置として今連載されているマンガが連載を終えるまでは読もうと思っていた。また、亭主がこれまで生きて来たなかで、とくに大きく影響を受けた作家の作品は手元に置こうと決めた。幸い?亭主の人生に大きな影響を与えるような作家は皆寡作で、手元に置く分も少なかった。結果、社会人になってもマンガ本が増えることはなかったが、マンガとの付き合いは細々と続いた。毎週・毎月楽しみにしている作品があって、立ち読みなどでストーリーを追ったり、どこかで「この作品が面白い」などと聞きつけると、マンガ喫茶で読んだりもしていた。本もいくらかは買っていた。結婚するということになって、やはりアパートを引き払う際にさらに大々的にマンガを処分したのだが、このときは処分するほどのものはなく、10冊程度を売ったに過ぎない。ここ数年は、週刊誌・月刊誌で楽しみにしていた作品が次々と完結していて、いよいよ亭主とマンガとの関係は断ち切られてしまうのか―――とも思ったのだが、鋼の錬金術師が完結したのをきっかけに全巻購入してしまった上に、Hunter x Hunterも買い揃えてしまった。先日、Kindleペーパーホワイトを買った際には辛抱たまらずOne Pieceを全巻大人買いしている。ただ、亭主とマンガとの距離は以前よりもかなり遠い。今、楽しみにしている作品はOne Piece(尾田栄一郎)進撃の巨人(諫山創)ジョジョリオン(荒木飛呂彦)銀の匙(荒川弘)ヒストリエ(岩明均)Hunter x Hunter(冨樫義博)くらいで、ただし最後から2つの作品は現在はほぼ連載が停滞している。そのほかにも細かい作品をちょこちょこと買ってはいるが、一巻ないし二巻で読むのをやめている。最近の作品、面白いといえば面白いのだけれど、ずっと手元においておきたいという内容でもなく、話題作だから、話の種になるからとさっと目を通して終わりにしている。昔の亭主の熱の入れ様からすれば恐ろしいほど冷淡だ。亭主がこれまで生きて来たなかで、とくに大きく影響を受けた作家は紫堂恭子高野文子つげ義春あたりだろうか。紫堂恭子はファンタジー系の作品を多く発表する。亭主は代表作である「辺境警備」「グラン・ローヴァ物語」が特に好きで、「辺境警備」の主人公サウル・カダフ(通称隊長さん)、「グラン・ローヴァ物語」の主人公グラン・ローヴァ(大賢者)の飄々とした人柄に憧れる。前者は中年のおっさんとしての飄々さ、後者は歳を経ても少年のような飄々さ。彼らの生き方は周囲の人々に影響を与え、人々を成長へと導いてくれる。高野文子は女流漫画家の大家であり、寡作ながらも人々の心に確実に届く作品を発表する。「おともだち」「棒がいっぽん」「るきさん」あたりが代表作だろうか。作品には少女、女学生、そしてオトナの女性、昭和の古くから平成まで様々な女性が登場するが、その誰もが生き生きと、自身の人生を謳歌している。ストーリ構成も巧みであり、短いながらも一つの作品に明確な主題と、結末が用意されている。つげ義春は、亭主の青春時代(高校~大学卒業)における考え方や価値観、死生観にまで影響を与えている。「ねじ式」や「夜が掴む」「外のふくらみ」などは当時の精神状態をそのまま絵にしたような作品であったし、「無能の人」や一連の旅にちなんだ作品は当時自信を失い、存在を消してしまいたかった亭主にとってある種の疑似的な逃避体験だった。正直に言うが、今でも亭主は許されれば今の生活から消え去りたいし、どこか深山幽谷に篭って俗世との関わりを断ちたいと思っている。しかし現実には許されるはずもなく、せめての慰めにと氏の作品を読んでいる。面白いマンガ、魅力的な画や巧妙なストーリ、あるいは作品全体から醸し出す雰囲気が好みのマンガはたくさんある。注目している作家も少なくない。しかし、自身の生き方や考え方にまで影響を与えるようなマンガや作家はそう多くはない。社会人となって、また歳を重ねてマンガが格段に面白いと思えなくなってきても、自身に影響を与えた作家の作品だけは、いつまでも手元においておきたいと考えている。, 投稿情報: 23:45 カテゴリー: Books, Essay | 個別ページ 80年代〜90年代を中心に女優や歌手として芸能界に身を置き、数々の作品を残した「戸川純」。"カルト・電波系・不思議ちゃん・ヤンデレ"など、どれも一言では表せない... 1994 live performance with Jun Togawa from the Error Engine video. 人生なんて白箱だ!40過ぎて人生駄目駄目で終わらせないために、借金を返済して自由を手に入れるまでの記録, 2018.03.09 コメント (0), 飲んだ後吐いたり、意識を失ったりすることも無く、極めて常識的な範囲でお酒を楽しんでいます。その昔は調子にのって大量に飲み、会費の元をとろうとたらふく食べていました。ただ最近はビールを中心に、おつまみをちょっと食べる程度。実は今日も飲み会で、瓶ビールにして一本分とお刺身を5枚ほど食べて帰ってきました。理想はお酒だけ、おつまみなしと行きたいところですが、やはり飲み会をセッティングしてくれた人、料理をしてくれた人の労をねぎらいたいと思い少しだけ口にするようにはしています。, 飲む量もですが、1回に飲むお酒の種類も減りました。基本はビール、あとはウィスキーまたはジントニック(ジンライムも可)。日本酒は悪酔い・二日酔いになるので、自宅で熱燗を楽しむ以外には飲みません。焼酎・サワー類は二日酔いにはならないものの、口当たりが良すぎてついつい飲みすぎてしまうので自粛しています。, お酒はほどほど、おつまみを食べず何をしているかといえば、やはり会話が楽しいのですね。, 亭主の参加する飲み会は、比較的にぎやかで、明るいものが多いので、人の話を聴きながらお酒を飲むのが実はとても楽しかったりします。亭主を含めて、酒癖の悪い人、というのも居ないように思います。以前に比べると飲めない人も増えているので、あまりハメをはずしすぎる人もいないのでしょう。, この日も飲み会は7時でおしまい、自宅に帰れば8時と、普段の残業くらいの時間に帰る事ができました。, 学生時代はそもそも「酒」とは何かをよく把握していなかったので、一人のみ、あるいは少人数飲みではかならず「サントリーレッド」を買っていた。, レッドを買っていた理由は至極単純、「安かったから」。当然味などというものはわかるはずも無く、(以前にも書いたが)子供の頃飲んでいた銘柄、というだけの理由で選んでいたのを思い出す。, 仲間内で飲むときは、かならず何らかの「話題」を元に飲んでいて、それこそ自分の悩みであるとか、スキな女の子の話であるとかを酔いに任せて語るのが通例だった。酒の力を借りて本音を言う。一種の癒しというか、浄化のようなものだったのかもしれない。, 当時はどちらかといえば自分を隠して生きてきたので、酒の力を借りてでも本音が言える場があることは、それなりに大事なことだった。もちろん本音といっても、人の悪口や泣き言ではなく、どちらかといえば「青年の主張」に近かった。お互いに「青年の主張」をぶつけあうことで、親友もできた。結果的に酒に対して悪い印象はほとんどないままこれまで過ごしてこられたものの、一方で非常に体力を消耗するため(当然)、日々の生活にお酒を取り込むという習慣は結局無いまま現在に至っている。, 投稿情報: 23:59 カテゴリー: Essay, Food and Drink | 個別ページ コメント (0), 小学校からの親友で、大学2年生くらいまでは、夏休みや正月休み、ゴールデンウィークなどを利用して遊びに行ったり、あるいは二人で車に乗って遠くに出かけたりしていた。当時は文通などもしていたりして、こちらは松本や浦和、友人は地元にいて、いろいろと将来の夢を語ったりしていたものだ。, 亭主は予備校に1年通った後大学に入り、病室のような狭い寮で鬱々とした日々を送っていた。, 一方友人は高校を卒業した後、愛知県岡崎市のトヨタ系列の自動車部品メーカに勤めていたのだが、途中で会社を辞めて地元のデザイン会社に再就職した。, 友人は小学校の頃から絵が上手だったので、おそらくはうまくやっているものだろうと思っていた。地元のスーパーの包装紙のデザインを手がけていたとかで、(亭主自身はその包装紙を見たことがなかったのだけれど)自分の中でもちょっとした自慢だった。, そもそも彼は、亭主と同じように都会に出て、イラストレーターか漫画家か、あるいはデザイナーになりたかったようだが、彼の家の事情がそれを許さなかったようだ。彼の手紙にはいつも彼が思い描いているという作品世界のことが、壮大な構想とともにつづられていて、亭主も読むのを楽しみにしていた。当時亭主も、同じく大きな構想の下にシナリオを考えていて、互いの手紙の中でその構想の一部を語っていた。, 亭主の寮に、友人から電話がかかってきて、「O君が死んだ、自殺だ」と告げられたとき、亭主はなにも言葉を返せないでいた。「これから葬式だ、行ってくる」。だが亭主は授業があることを理由にO君の葬式には結局行かなかった。, それ以降、夏休みや冬休み、ゴールデンウィークなどに彼を訪ねても、家には上げてもらえるもののどこかよそよそしく、会話が弾まなかったことを覚えている。次第に疎遠になり、彼のことを次第に思い出さなくなり、ときどき父や母が彼のことや、彼の母親のことを話題にしても、気にかけることもなくなっていた。, 幹事が電話口でいろいろと話しかけても、口ごもり、なにか言い訳をするばかりで決して参加するとは言わなかったらしい。心配になったが、どんな声をかけたものか、どんな顔をして会いに行ったものかわからない。そもそもO君が自殺した原因すらも、亭主は聴かされていない(それ以前に自殺の原因がわかっていたのかすらもわからない)。, 携帯電話など無い時代に疎遠になってしまったので、連絡する方法が(実家に押しかけるくらいしか)思いつかない。, 投稿情報: 00:10 カテゴリー: Essay | 個別ページ ☆戸川純ちゃんの事・28 ... (水) 10:32:33 ID:mIjs9+R20.net ヤプーズ再結成きっかけで再び戸川純熱が高まってきて いろいろネットやらで調べてるんだけど、結局上野耕路とは 結婚したのかな 25~30年ぐらい前にスポニチの芸能欄で2人の結婚が 亭主が当時好きだったゲルニカ(上野耕路+戸川純+太田螢一)のアルバムを二人で聴いていて、彼が新しいフレーズをひらめいたこともある。バイト代が出たからと、浦和駅前のショットバーに誘われた …

コメント (0). ※ 「 テ レ フ ォ ン シ ョ ッ キ ン グ 」 「 オ レ ン ジ ・ ス キ ャ ン ダ ル ( 1984年 4月  – 9月  火 曜 の 準 レ ギ ュ ラ ー ) 」 「 日 曜 お 気 楽 組 」 「 私 、 新 聞 ・ 雑 誌 に 出 た こ と あ り ま す 。 」 の コ ー ナ ー ほ か 。 ( フ ジ テ レ ビ ), HELLO!

| ©Copyright2020 SHIROBAKO.All Rights Reserved. コメント (0), 亭主は、高校の同期であるK氏、T氏、Y氏らとともに松本にある予備校の寮に居て、気ままな(しかしどこかに不安を残した)浪人生活を送っていた。まるで独房のようなクソ狭い(確か3畳も無かった気がする)寮室で悶々と受験勉強をするしかなかったとはいえ、亭主は同期の仲間たちとそれなりに楽しく過ごしていた。一ヶ月の生活費をどれだけ切り詰められるか、食費はもちろん、毎月集金に来る寮室の電気代を節約するため、なんだかずいぶんセコいことをやっていたような気がする。エアコンを使わず、また部屋の電灯をつけず、廊下にたむろしては廊下の床で勉強をしていたことが思い出される。もちろん勉強だけでなく、怪しいこともずいぶんやった。おかしな俳句をひねり出しては廊下の壁に貼り付けて喜んでいた。当時の寮長は「駄菓子屋」などとあだ名されるちょっとクセのある老人だったが、それでも亭主たちの怪しい行動は、クセのある駄菓子屋からみても変わって見えたのではなかろうか。, 寮はビジネス旅館を改装したものだった。寮室は牢獄のように狭かったが、風呂はもと旅館だけあってそれなりに広かった。寮の近所にかつてビジネス旅館だったころの看板があって、「ミネラル鉱泉・大八旅館→」などと書いてあるところをみると風呂もまた売りだったようだ。ただ、ミネラル鉱泉なるものが実際にどんなものなのだったかは、とうとうわからなかった。風呂の洗い場には、おおよそ10年来も使っていないような蛇口がいくつかあって、カランをひねると真っ赤な鉄錆の水が出てきた。この赤いのがミネラル・・・というわけではなかろう。, 寮生の長湯を防ぐためか、それとも単に駄菓子屋の趣味だろうか、風呂は殺人的に熱かった。もともと亭主自身熱い湯は得意ではなかったが、それにしても湯船の湯の熱さときたら常人の我慢するレベルを超えていたように思う。亭主は、まずはひたすら洗い場でカラダを洗い頭を洗い、もうどこもキタナイところなどない、完璧な状態でおっかなびっくり風呂に入り、体をむやみに動かさないよう必死に湯の熱さに耐えていた。以降亭主は、大学の学生寮で、会社の寮で大きな風呂にはいるわけだが、あれほどに熱い湯は結局経験していない。, 亭主と同期は、少し明るいうちから寮の風呂に行った。寮には先客の駄菓子屋が居て、うーんうーんと唸りながらクソ熱い風呂に入っていた。カラダを洗いながらよくあの熱い風呂に入れるな、やはり趣味なのかなと思っていると、駄菓子屋が不思議な笑い声を上げながら風呂から出て行った。さて、亭主らが風呂にはいろうとすると, 充分に把握しないまま同期が物体を洗面器にすくい取り、とりあえず風呂に入ってそうそうに上がった。風呂から出て体を拭きながら、あれはいったいなんだったのだろうという話になり、念のためと風呂に置いてきた洗面器を見たところ、やはりぷかぷかと浮いて単振動を繰り返している。だが、駄菓子屋に報じ、彼が風呂ににきたときには、異臭物は消えていた。, 投稿情報: 23:35 カテゴリー: Essay | 個別ページ