!」』p.31, 「イカ天年鑑 平成元年編」p.28 - 29、p.48 - 49、p.62 - 63, 旺文社ムック『「イカ天」「ホコ天」アマチュアバンド大全集「WOWOOO(ワォーッ)!

K-POPPING | 美男ですね | あの日、兄貴が灯した光 | ドクターズ~恋する気持ち | ピノキオ | 尚衣院 -サンイウォン- | ビューティー・インサイド | となりの美男<イケメン> | 宮S ~Secret Prince, 『U-NEXT』>>>First Love | 僕の中のオトコの娘 | 屋上のあるアパート | 60歳のラブレター, 『Hulu』>>>罪と罰 A Falsified Romance | 屋上のあるアパート | ハンチョウ4 ~神南署安積班~ | 60歳のラブレター | 火天の城 | 聖の青春, 『dTV』>>>スピードマスター | ハンチョウ4~神南署安積班~【TBSオンデマンド】, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 韓国ドラマ『天国の樹』の動画配信情報をまとめています。フル動画が無料視聴できる動画配信サービスをお探しの方は、ぜひ参考にして下さい。第1話から最終話まで全12話のあらすじや各キャストが出演する他の作品もピックアップ 「いか天[完全]完奏版」(TBSビデオ・バンドストッククラブ), 7代目グランドイカ天キングのPANIC IN THE ZUはインディーズでアルバムは出しているがメジャーデビューはしていない。, ただしこれは事故と言うべき出来事であり、後日ASHは関連イベントで一曲演奏する機会を与えられることとなった。, 旺文社ムック『「イカ天」「ホコ天」アマチュアバンド大全集「WOWOOO(ワォーッ)! *好きな韓国ドラマベスト3* 1位 天国の階段 (韓国ドラマはこのドラマの前にも観ていましたが、韓国ドラマを初めて面白いと思った作品) 1位 宮- Love in Palace-(同じく1位です。もう、いろんな意味でや … "イカ天2007復活祭"名物バンド激レア映像 今夜限りの大放出スペシャル」と題し、17年ぶりに復活した[1]。, 「イカ天」が公式な通称であるために「イカすバンド天国」と誤植されることが多いが、「いかす」を平仮名で書くのが正式な表記である。, 毎週土曜深夜に10組(第1回、第2回は12組)のアマチュアバンド[2]が登場し、審査員によってチャレンジャー賞バンドが選ばれて前回のイカ天キング(チャンピオン)バンドと対決して勝った方がイカ天キングとなる。5週連続でイカ天キングを防衛したバンドはグランドイカ天キングとなり、メジャーデビューが約束された[要出典][3]。, だが番組開始当初にはメジャーデビューへの道という話は全くなく、グランドキングになれば48チャンネルのスタジオを借り切って録音ができ、番組でPVを制作してもらえるというだけであった(その後、番組の人気とともにスケールアップしていく)。したがって出場バンドの中にはベンチャーズやグループ・サウンズのカバーあるいはプログレッシブ・ロックを演奏するバンドも少なくなく、かつて存在した同様の番組『勝ち抜きエレキ合戦』に出場経験のある中年男性バンドという古強者も登場し、そういうものも含めた学園祭的なにぎやかさも番組制作のねらいの一つであったという(この番組の審査員にベンチャーズ研究家の萩原健太やプログレッシブ・ロックの世界で神格化された難波弘之が名前を連ねていた)。[要出典], 番組は当時爆発的な人気を呼び、1989年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに至った。1990年1月1日には、日本武道館において前日の第31回日本レコード大賞のセットをほぼ流用するような形で「輝く!日本イカ天大賞」が行われた(この放送は翌日1月2日、23時15分 - 25時15分)。[要出典], 司会は三宅裕司[4]と相原勇(後期にはバンドが登場する直前の「次のバンドはこのバンドだいっ!」というフレーズも人気に)、第1回放送時は三宅と出場バンドメンバー全員による「ヘーイ、セーイ」の掛け声で始まり、この時には「略していかバン天」と言っていた。バンド呼び込みなどのナレーションは関口伸(1989年4月15日放送分から登場。それ以前は三宅か相原による紹介で行われていた)。プロデューサーは元スペクトラム・KUWATA BANDの今野多久郎、収録スタジオは日比谷シャンテTBSスタジオ(地下1階。現在は映画館「TOHOシネマズシャンテ」に改装された)。スーパー・エキセントリック・シアターの若手だった岸谷五朗、寺脇康文、山田幸伸の「SET隊」が「天ぷらトリオ」と名乗って、前説とオープニング出演していた時期もある[5]。, しかし、1989年に番組のディレクターが麻薬所持で逮捕。1990年3月にも番組の構成作家が大麻所持で逮捕される。同年4月、2年目に突入し審査員が交代して以降は人気が急落し、同年8月 - 9月の頃には視聴率が2 - 3%と降下[6]。その後、バンドブーム熱の降下とともに番組は終了した。新聞報道や番組内の説明ではあくまでも年内休止、かつ充電期間で、1991年からはビデオ版で再開とされていた[7][8]。, イカ天キングとチャレンジャー賞バンドとの対決で、7人の審査員の多数決で決まる(スタート当初は審査員は5人)。丸(金色)のキングの札(イカ審棒と呼ばれた)が4人以上なら勝ち抜き、四角(焼肉の網を模した形)のチャレンジャーの札が4人以上なら新キング誕生(キングには1週勝ち抜くごとに賞金10万円とローランド社製の楽器(リニアデジタルシンセサイザー・D-20、ギターアンプ・JC-120、デジタルギターサウンドシステム・GS-6、ギターシンセサイザー・GR-50とドライバー・GK-2のセット、ヒューマンリズムコンポーザー・R-8、MIDIパッド・オクタパッドⅡ、以上6アイテムの中からいずれか1つ)がプレゼントされた)。キングとなった週を含め、5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなる。ちなみに1989年7月頃までの札は赤丸(キング)と青丸(チャレンジャー)で色分けされ、中にイカのロゴマークが入っていたものであった。この当時の審査員席は焼肉を焼くホットプレートのような卓の周りを5人が囲んで座るといった体裁であった。, なおキングのグランドキング挑戦の週には強力なチャレンジャーがぶつけられることがセオリーとなっており、FLYING KIDSをあわやというところまで追い詰めたKUSU KUSU(人気投票連続11週1位)、たまとマルコシアス・バンプの対決、BEGINがNORMA JEANのグランドキングを阻止した際のラッシャー木村の「耐えて燃えろ!」などの名言を生んでいる。, グランドキング誕生の次週はキング不在となる。従ってそのままキング不在で番組は進行、その週のチャレンジャー賞バンドがキングになる。しかし初代グランドイカ天キング(FLYING KIDS)が誕生した翌週のパニック・イン・ザ・ズゥはキングの実力かどうかの判断が出来ないということから、「仮イカ天キング」という措置がとられた。この仮キングの週は勝ち抜き週数にカウントされず賞金もない。次週で勝てば正キングとなり、負ければ仮のままで終わるというもの。2代目グランドキング(BEGIN)が誕生した翌週のカブキロックスも仮イカ天キングであった。また、3代目グランドキング(たま)誕生の週はチャレンジャー賞のマルコシアス・バンプを落とすのはあまりにも惜しいということから審査委員長の萩原健太が「そのまま仮イカ天キングにして残すのはどうか」と提案。三宅はもちろんほかの審査員も異存はなく、満場一致で番組中に決定した。このほか、番組末期に仮キングとなったGLUは「仮にするか本当のキングにするか迷いました」と言われており、もう少し評価が高ければキングとの対決を経ずして正キングになった唯一の例となるところであった。イカ天のルールはこの番組らしく臨機応変に変更されていった。, 審査員席には、赤と青の2つのランプがあり、「もう見たくない」と思った時には赤ランプのスイッチを押す。赤ランプが2つ点灯すると「ワイプ」となり、演奏中の画面が小さくなる(演奏時間の記録も赤ランプが2つ点灯した瞬間までのものとなる。7つ全部赤ランプが点灯すると演奏画面が消える。第2回放送時までは赤ランプ3つで一気に画面が小さくなっていたが、第3回放送からは段階的に縮小する形に変わった)。3分間ワイプを受けずにいられたら「完奏」(この完奏のイカマークが画面に登場したのは1989年3月4日から)。ただ、ワイプになってももう少し見たいと思った時には青ランプのスイッチを押す。すると演奏中の画面が再びいっぱいに戻るが、完奏扱いにはならなかった(番組初期の頃には審査員の赤ランプよりも権限が強かったという、三宅用の青ランプが存在した。但しこれで復活できるのは5秒だけだった)。最速ワイプ記録は九州ASHの14秒[9]。登場時にふざけすぎて審査員の反感を買い、演奏前に赤ランプがついてしまったケースもある。またワイプをかわすため、わざと短い曲を作って挑むチャレンジャー(1989年6月17日に1分30秒で完奏したバンド「近親憎悪」)も存在した[10]。ちなみにキングはワイプの対象にならない。, ※1989年の分については、『イカ天年鑑 平成元年編』(ワニブックス、1990年3月10日初版)の各回各ページの上部に全て掲載。, ※詳しい対戦スコアなどは三宅裕司のいかすバンド天国に出場したバンド#歴代イカ天キングを参照。, 1989年3月25日までは審査員5人体制。4月8日放送分から7人体制となった。この番組の審査はたとえば、吉田「とても好きです(中略)ただAメロがあまりにも8分音符が続いてそこをちょっと…」萩原「いや、アレいいですよ」銀次「おれも好きだな」三宅「あ〜、いま吉田さん猛ひんしゅくを買いましたね」吉田「いま、とてもあせってしまいました」というやりとり(因にこの言い合いが展開されたバンドは第4代イカ天キングのイエロー太陽sであった)があるように、政治的なかけひきのない厳しいながらも和気藹々としたものであった。, 音楽評論家、審査員長。よく出場者をフォローするコメントを出し『フォローの達人』『イカ天の良心』とも言われる。米米CLUBの海外レコーディングに同行して番組を休んだ時も、自費で自分の人形を作り自分の席に置いていったこともあった。ただ「フォローのしようがない」「こんなバンド完奏させちゃいけない」という発言があるように甘い審査というわけではない。審査員の中では出場バンドの全曲を放送前に見ることを唯一許されていた[21]。, オペラ歌手。美形好きと公言し、美形の男が出てくると眼鏡をかけることもあった。この番組がきっかけでその後、村上“ポンタ”秀一とレコーディングすることになる。, ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー。冷めたような口調で『何、それ?』『やめてよ』『何でこんなバンド、予選通すの?』などの辛口コメントが多く、一方で『今日は厳しいことを言い過ぎて、すみません』と謝る一面もあった。そうしたキャラクターから一時期女性週刊誌に載るほどの人気となる。特に電子楽器シーケンサー打ち込み系グループを一切認めなかった[22]。, 初期のナイアガラメンバーでもあることから面白好きな一面を番組では見せた。プレイヤー的な視点のコメントでは「建&銀次」というコンビにされることも多かった。, 謎のタクティシャン。舞台の演出家だったり、音楽プロデューサーだったりするらしい。フグの調理師免許を持っており、それをネタに三宅にいじられることも多々あった。現在は福山雅治のプロデューサー。, ドラマー。吉田建がメインとなっていた『LOSER』(泉谷しげるのコンサートバンド)・『JAZZ MASTER』(沢田研二のコンサートバンド)のドラマーだった関係から出演したと思われる。何度も出演した印象を持たれているが、実は6回の出演である[要出典]。, プロレスラー。元国際プロレスのエース。マイクパフォーマンスを得意とする。「耐えて燃えろ!」の名言を残す。なお、他の審査員がスタンドマイクであったのに対し、ラッシャーだけはハンドマイクだった。, 1990年元旦(放送は翌2日)日本武道館に於いて催行された公開イベント。前日に同ホールで催行された第31回日本レコード大賞のセットを流用して、番組のシンボルであるイカのデザインのセットを追加したステージが使用された。司会進行はレギュラーと同じく三宅裕司と相原勇、ナレーターは関口伸が務めている。演目は以下の通り。, ベスト・プレイヤー&ベスト・ボーカル賞部門は、受賞者によって編成されたセッション・バンドという形式で、演奏中に逐次発表された。受賞者及びセッション・バンド・メンバーは以下の通り(発表順)。, (1990年10月6日から)毎週土曜日深夜(日曜日未明)24時40分 - 27時00分, 原則関東ローカルだったこの番組も、放送開始当初は前番組『SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族』を放送していた2局がそのままネットを引き継いでスタート、以後番組の人気が上昇するとともにネット局が増えていった。, ※なお、2007年12月30日に放送された本番組の特番『イカ天2007復活祭』は全国ネットの枠で放送されたため、上記以外の局でも放送されていた。特に毎日放送はレギュラー放送時代、終了までネット局にならなかったため、関西地方ではこの復活特番が唯一の放送となった(詳しくは板東英二のわがままミッドナイト#番組編成上の影響を参照)。, ドラマ !」』p.50 - 52、「イカ天年鑑 平成元年編」p.144, イカ天生誕25周年記念スペシャル特別すごいイベント 『イカNIGHT一生コーカイするぜ!!』, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=三宅裕司のいかすバンド天国&oldid=79904449, 当時、パニック・イン・ザ・ズゥが正キングではない「仮イカ天キング」であったことから, この日のために、実際に「蛇の頭を付けたブーツ」を製作。この後、このブーツは番組オフィシャルショップ「IKA-TEN SHOP」に飾られていた, イカ天キングへの挑戦権獲得、賞品は「焼肉屋ご招待」だった。ただし出場者が総崩れの場合出なかったこともある。1990年, 障子の右側が審査員席、さらにその右側が今野多久郎ら『バンドストッククラブ』コーナー出演者が座る席でその後ろには在宅審査員の氏名・団体名・レコード会社名の札が掛かって視聴者からのはがきと, 壁にはほかにその週出場のバンドの名前が貼られたホワイトボードが掲げられており、完奏するとバンド名の後ろに「完」のシールが貼られた。, ちなみに垂れ幕のスローガンの内容は季節の話、年中行事にロッカーの生き様などを引っ掛けて作ったような文言が多く、中には1989年, パンク三宅とシンサイン・バンドのメンバー編成は、ドラムス=村上ポンタ秀一、ベース=吉田建、ギター=伊藤銀次、リード・ギター&ボーカル=パンク三宅。二曲目からコーラスとして中島啓江と相原勇が加わった。, 1989年6月23日・24日「IKA-TENサマーシリーズ・1 IKA-NIGHT TEN-NIGHT」(会場:, 1989年8月28日~30日「IKA-TENサマーシリーズ・2 翔ばなイカ・踊らなイカ・楽しまなイカ」(会場:, 1990年・・・3月17日、6月23日、7月14日、9月1日、10月13日、12月1日, 1990年7月7日「'90年上半期総決算、七夕イベント『イカバタ』」 - ゲスト:, 1989年10月21日「イカ天スペシャル・午後ならどうだ!」(16時00分 - 17時30分放送), 1990年4月7日、4月14日、4月21日「オールナイトイカ天・見せます576バンド」(29時00分(午前5時)まで放送), 2007年12月30日「あの伝説の番組再び!