(内容は知っているが手元にないため画像は下記参照)(画像: https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=81590014)(2019年9月20日閲覧). 坂口安吾の『桜の森の満開の下』が、有名ゲームのキャラクターデザインなどで知られ、本シリーズでは萩原朔太郎『猫町』、江戸川乱歩『押絵と旅する男』、夏目漱石『夢十夜』を担当する大人気イラストレーター・しきみによって描かれる。 梶井基次郎の、檸檬と(レモン)と言う作品の中に登場します。 後、坂口安吾の、桜の森の満開のした、と言う、セリフの作品が有名ですが、 こちらは、昭和・22年頃の作品だったと思います。 梶井のは、昭和の、極初期2~4年頃だったと思います。 All rights reserved. © 中高英語科教員専修免許 【ホンシェルジュ】 美しく繊細な文章で独特の空想を描写し、読むものの心に残る、梶井基次郎の作品。数々の優れた短篇を世に遺し、今なお人気が衰えることはありません。 ここでは、そんな梶井基次郎の、魅力溢れるおすすめの短篇をご紹介していきましょう。

1.梶井基次郎 ー桜の木の下には 屍体が埋まっている!ー. 自分と自分の隣にいてくれる人を幸せにする世の中にする。 無断引用禁止。, https://sozai-good.com/illust/free-background/bac-flower/64484 (2019年9月20日参照). 桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。 ここでは、そんな梶井基次郎の、魅力溢れるおすすめの短篇をご紹介していきましょう。, 1901年、大阪生まれの梶井基次郎は、父親の転勤に伴い、転居の多い子供時代を送ります。教育熱心な母親に育てられ、学校での成績は優秀。人柄も良く、周りの人たちからもたいへん好かれていたようです。夏目漱石に大きく影響を受け、作品のほとんどを暗記してしまうほどだったのだとか。, 1925年、同人らと創刊した雑誌「青空」で、『檸檬』を発表しますが、当時はあまり評価されませんでした。肺の病気に苦しめられ、度々高熱で寝込むこともありましたが、周りには元気に振舞っていたようで、文学仲間のまとめ役として頼りにされていたのだそうです。, 20篇余りの短篇を執筆した梶井基次郎は、仲間たちの奮闘もあり、次第に評価され始めますが、1932年、結核のため31歳の若さでこの世を去ります。梶井基次郎の作品が、多くの作家たちから賞賛されたのは、梶井が亡くなった後のことでした。, 梶井基次郎のおすすめ短篇をご紹介しました。とても短い作品たちですが、魅力がぎゅっと凝縮された傑作ばかりです。梶井基次郎の作品に興味があるという方は、ぜひ読んでみてくださいね。, ホンシェルジュはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。. document.write(copyrightYear.getFullYear());

SDGsグループメンバー Rittor Music,Inc., an Impress Group company. 第1巻第1号.

「桜の森の満開の下」.『肉体』. (1947). 桜にまつわる小説の中に坂口安吾「桜の森の満開の下」梶井基次郎「桜の樹の下には」があり。 桜の樹の下には 著者:梶井 基次郎 読み手:加藤 純子 時間:7分15秒 桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 梶井基次郎.(1931).『檸檬』.武蔵野書院.初版. 自分の本棚に飾っておきたい。大切なあの人にプレゼントしたい。そんな気持ちになる「乙女の本棚」シリーズの1冊。, 明治39年(1906年)新潟県生まれ。東洋大学文学部印度哲学倫理学科卒。アテネ・フランセにも通う。1955年死去。代表作に『堕落論』、「白痴」、「桜の森の満開の下」などがある。, イラストレーター。東京都在住。『刀剣乱舞』など、有名オンラインゲームのキャラクターデザインのほか、多くの書籍の装画やファッションブランドとのコラボレーションを手がけている。画集に『獏の国』がある。, 山賊が女と出会うシーンです。女の衣装は昔の高貴な女性の旅装束・つぼ装束をイメージしてデザインしています。あちこちに桜の意匠も取り入れています。, 山賊が桜の木の下で目覚めるシーンです。桜は明るく彩度の高い色で、山賊は暗い色で表現し、非現実感を出しました。. 桜の樹の下には 屍体 ( したい ) が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 何故 ( なぜ ) って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。 ダイアリスト(diary) 桜が咲くと花見をする。和歌では、むかしのものは、花といえば梅だったらしいが、花見=桜を見るは定着し、我々にとって花=桜、桜は特別な存在になっている。, 寒い季節が終わると、だんだん芽吹き、そして開花する。開花すれば、花見に出かけ、春が来たと歓喜し、寒い冬を耐え、新しい季節がきたことを皆で祝う。, その寂しさや不安や喜びや期待を、桜のピンクが淡く包んでいる気がして。桜を見にきたのか宴を楽しみにきたのかわからなくなる人もあるが、桜が咲くと大抵、その淡いピンクを見上げる。誰もその桜の木の下のことなど、考えはしない。, 冒頭、この衝撃的な言葉からはじまる。梶井基次郎の短編『桜の木の下には』(1928)である。(この作品は、1931年にあの、『檸檬』に収録された。), さて、この大量の屍体たちが美しくみえた「俺」は、この情景(大量の屍体が水の中にいる)に妙な喜びを感じ、そのことに驚く。それからふと、桜を見た「俺」は、あの美しさ(桜の美しさ)はなんだろうと思案し、はっと気づく。あの桜の木の下には屍体が埋まっているのだ、と。, 実は、桜と屍体については、坂口安吾が『桜の森の満開の下』(1947)という作品を、梶井基次郎の作品の19年後に書いている。梶井基次郎は1932年に亡くなっているので、この作品が出た時には既に世にいないが、坂口安吾の短編小説『桜の森の満開の下』は13編の物語が収録されており、今回みるのは、その中の「桜の森の満開の下」である。当然これは、たまたま梶井基次郎の題名と似ているのではない。坂口安吾は、梶井基次郎の短編を下地に書いている。, そして、2014年に出版された、村上龍の『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている』は、梶井基次郎の『桜の樹の下には』について考察しつつ、現代社会の様々なことについていくつか挙げそれらについて語っている。, もちろん、すべての作品をわたしは過去に読んだことがあったが、ある日、他の考え事が全くできないほどこの3つの作品が頭の中を駆け巡り、何度とその内容や文章が、頭の中で声をあげて読まれた。だから、ペンをとってメモを書き、今、できうる限りそれをまとめている。, 梶井基次郎の作品の(#桜の木の下には)は、先に要約したような物語だ。「俺」はなぜ、桜はこんなに美しいのかを考えていて、はっと気づいた。あの桜の樹の下には、屍体が埋まっているのだ、と。, 「俺」が桜に感じた美しさや得体の知れない不安や狂気は、きっと桜の下に埋まっているだろう屍体という存在があるからで、そして桜は、その屍体の血を吸ってピンクになるのだ(櫻染め)と描いている。, そう思うことで、生と死、美しさと醜さという、一見、相反するものが反対なのではなく、それぞれがそれぞれを内包していると描き出し、ピンク一面の桜が美しいのは、その醜さや恐ろしさを内包しているからだと述べている。, この桜の、えもいわれぬ“美しさ”や“醜さ”、“恐ろしさ”、そして屍体が埋まっているというその屍体が埋まる物語を書いたのが坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。, 物語は、ある峠の山賊と妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇小説で、談話形式の文体で書かれている。おおよそつぎのような話である。(間違えていたら訂正コメントをください。), ー山賊の男は、通りがかる旅人の身ぐるみをはがし、女が通りその女を気にいると自分の女房としていた。こうして男はこの谷のすべては自分のものと思っていた。しかし、そんな男にも、唯一恐れていたものがあった。それが桜の森だった。男は桜の森が満開のときにはその下を通るとゴーゴーと音が鳴り気が狂うと信じていた。 そんなある日、男が旅人を襲いいつものようにその連れの女を自分の女房とすると、なんとこの女が、山賊を恐れもせず指図し、家にいた七人の女房を次々と殺した。そしてわがままな女房は、やがて都を恋しく思ったため、山賊は女とともに山を下りて都へ移ることにした。しかしやがて、男はこの女の残酷さに嫌気がさして、山に帰ることを決意。女も男とともに戻ることとなった。山賊はその女を背負って山に戻ると、あの桜の森は満開になっていた。男は、久しぶりに帰ってきたことを嬉しく思って今まで避けてきたその森を通ってしまった。ふと山賊がうしろをふりかえると、負ぶっていた女はいつのまにか醜い鬼にへんげしており、山賊の首を絞めてきた。そのため、男は必死に鬼を振り払い、その首を絞めた。男が我にかえると、そこには桜の花びらにまみれて女が死んでいた。山賊は桜吹雪の中、声を上げて泣いた。そして、女に触れようとすると、女はただの花びらとなり、消えてしまった。その花びらをかきわけようとすると、この山賊もやがて消え、あとには花びらと冷たい虚空が張り詰めていた。ー, ざっとだいたいこのような話だ。この作品は、おそらく梶井基次郎の作品を下地にしており(日本文学にあかるくないので詳しくはわかりません。ごめんなさい)、美しさと醜さ、生と死という相反するものが互いに内包しつつまた、都と山、女と男、現実と幻想という対比を交えて描き出され、女は男の肉体に依存し、男もまた女の存在に依存することで承認欲求を埋めていたのではないか、と考えられる。, ここで、村上龍(2014)のエッセー、『桜の樹の下には瓦礫が埋まっている』についてみていこう。この作品は、2011年の東日本大震災を経験した後に出版された。, 現代社会のさまざまなこと(コンカツ、北朝鮮、凶悪事件、消費嗜好について、寂しさとは、「個人」について、若年労働者の低賃金について、3.11と絆、など。)を、梶井基次郎の先の散文詩などを引いて語っている。, その中で、村上氏は『桜の樹の下には』(同 『桜の木の下には』)について解釈・考察している。, 満開の桜は美しいかもしれないが、その美しさはその木の下に埋まった屍体によって支えられているのではないか、という妄想のような「負の想像力」によって、梶井は、ものごとがすべてきれいでまともなはずがないと主張している。, 村上氏は、東日本大震災で日本中が共有した“絆”に「不安」を覚える、といってそこにあの“櫻の樹”を用いて、**被災地、被災者を思う気持ちだけでは、解決できない問題が山積みで、それを「絆」という言葉が隠蔽してしまう危険性がある、と警鐘を鳴らしている。 **, そして、その象徴として“瓦礫”問題がこじれているのは、一方では“櫻の樹”自体を見ている人がいる、そのもう一方には、“屍体”を見ている人がいると表現しているのだ。, この話(問題)を、先の梶井基次郎の『桜の木の下には』と、坂口安吾の『桜の森の満開の下』の作品を通してみると、, 震災後の日本のメディアでは、絆、絆、きずな、キズナ、kizunaと連呼され、その後の日本は、いや今も、どこかで“震災を乗り越えた我々日本人”、“困難な状況にあっても頑張ろうとしている日本人”とし、, そうして“キズナ”と“復興”を推し進めた。その、“復興”のなかで、“絆”だとか、“私たち”といったaboutな言葉によって、個々の人の物語は大きな物語へと内包され、集約され、生まれ変わっている気がする。, しかし、“絆”が進められれば、進められるほどに、「孤独」が色濃くあらわれ、“復興”が進められ街の瓦礫が片付けられていくなかで、それによって「戻らないもの」がより鮮明に浮かびあがってきているのではないだろうか。, 不安や未来への期待を描きながら、その積もっていく桜の花びらの下には今立っている桜の木の下には、, 過去が積み重なり、その過去の複雑な得体の知れない過去のある一点の“イマ”たちが埋まって、消えずにある。, しばらく、さまざまなインプットが大量に頭を埋め尽くし、また日々、忙しなく過ごしているうちに、何も頭の中でまとめることができずにいたが、なぜかとてもとても、梶井基次郎と坂口安吾と村上龍について書きたい衝動に駆られ、その想いのままに、書いた。, 次は、学部時代に受けた現代社会学の講義のノートをもとに、そして、この話をもとに、また少しずつ、noteに、ことばを綴って、紡いでいきたい。, 勢いのままに書いてしまってあまり推敲するための体力が残っていなかったこと、そのため、記事構成がわかりづらいこと、容赦していただきたい。, 画像参照トップ画像 https://sozai-good.com/illust/free-background/bac-flower/64484 (2019年9月20日参照).

名作文学と現代の美麗なイラストが融合した、珠玉のコラボレーション・シリーズ。

2.坂口安吾 3.村上龍 4.その桜の花見をしている 桜の木の下は 5.絆、キズナ、kizuna、と 積み重なる過去の下には . var copyrightYear = new Date(); 美しく繊細な文章で独特の空想を描写し、読むものの心に残る、梶井基次郎の作品。数々の優れた短篇を世に遺し、今なお人気が衰えることはありません。 坂口安吾. 人気シリーズ「乙女の本棚」第13弾は坂口安吾×イラストレーター・しきみのコラボレーション! 小説としても画集としても楽しめる、魅惑の1冊。全イラスト描き下ろし。 桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。